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最高裁判所大法廷 昭和41年(あ)2101号 決定

主文

本件各上告を棄却する。

理由

弁護人尾崎陞ほか九名連名の上告趣意第一点は、判例違反をいうが、所論引用の判例は事案を異にし本件に適切ではないから、適法な上告理由にあたらない。同上告趣旨第二点のうち、憲法違反をいう点の実質は単なる訴訟法違反の主張に帰し、判例違反をいう点は、所論引用の判例がいずれも事案を異にし本件に適切ではないから、いずれも適法な上告理由にあたらない。同上告趣意第三点は、事実誤認ないし単なる法令違反の主張であり、同第四点は、単なる法令違反の主張であつて、いずれも適法な上告理由にあたらない。同第五点は、判例違反をいうが、所論引用の判例も本件とは事案を異にし適切な判例とはいえないから、適法な上告理由にあたらない。同第六点は、事実誤認の主張であつて、適法な上告理由にあたらない。同第七点は、憲法違反をいう点もあるが、その実質はすべて事実誤認、単なる法令違反の主張であつて、適法な上告理由にあたらない。

ところで、弁護人らの上告趣意第一点にかんがみ、職権により調査すると、本件は、被告人らの共謀による住居侵入、暴力行為等処罰に関する法律違反(多衆の威力を示し、共同してした脅迫、暴行、器物損壊)、傷害の各事実が公訴事実とされたものであるところ、第一審判決は、右のうち住居侵入ならびに暴力行為等処罰に関する法律(以下暴力行為処罰法という)違反の一部(多衆の威力を示してした脅迫)については、被告人らを有罪としたが、暴力行為処罰法違反のその余の部分(多衆の威力を示し、共同してした暴行、器物損壊)なららびに傷害については、被告人らに犯罪の証明がないとの判断を示し、ただ、右暴力行為処罰法違反(暴行、器物損壊)の点は前記有罪であるところの同法違反(脅迫)と包括一罪の関係にあるとして起訴され、また、右暴力行為処罰法違反(暴行、器物損壊)ならびに傷害は前記住居侵入と刑法五四条一項後段の手段、結果の関係にあるものとして起訴されたのであるから、これらの点については主文において特に無罪の言渡をしないとした。

右第一審の有罪判決に対し、被告人らだけが控訴をし、有罪とされた各事実につき種々の理由を挙げてその罪責のないことを主張する旨の控訴趣意を陳述したのであるが、原判決は、「被告人らの無罪を主張する本件各控訴は、その理由がないから、刑訴法三九六条によりこれを棄却し、同法三九二条二項による職権調査の結果原判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認があるので、同法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により自判する。」として、前記公訴事実の全部について被告人らを有罪とし、各被告人に対し第一審判決と同じ刑を言い渡したのである。

所論は、原審のした右職権調査ならびに破棄自判の措置を不当と主張するので、按ずるに、第一審判決がその理由中において無罪の判断を示した点は、牽連犯ないし包括一罪として起訴された事実の一部なのであるから、右第一審判決に対する控訴提起の効力は、それが被告人からだけの控訴であつても、公訴事実の全部に及び、右の無罪部分を含めたそのすべてが控訴審に移審係属すると解すべきである。そうとすれば、控訴裁判所は右起訴事実の全部の範囲にわたつて職権調査を加えることが可能であるとみられないでもない。しかしながら、控訴審が第一審判決について職権調査をするにあたり、いかなる限度においてその職権を行使すべきかについては、さらに慎重な検討を要するところである。いうまでもなく、現行刑訴法において、いわゆる当事者主義が基本原則とされ、職権主義はその補充的、後見的なものとされているのである。当事者主義の現われとして、現行法は訴因制度をとり、検察官が公訴を提起するには、公訴事実を記載した起訴状を裁判所に提出しなければならず、公訴事実は訴因を明示してこれを記載しなければならないし、この訴因につき、当事者の攻撃防禦をなさしめるものとしている。裁判所は、右の訴因が実体にそぐわないとみられる場合であつても、原則としては訴因変更を促がし或いはこれを命ずべき義務を負うものではなく(当裁判所昭和三〇年(あ)第三三七六号同三三年五月二〇日第三小法廷判決・刑集一二巻七号一四一六頁参照)、反面、検察官が訴因変更を請求した場合には、従来の訴因について有罪の言渡をなし得る場合であつても、その訴因変更を許さなければならず(昭和四二年(あ)第一九一号同年八月三一日第一小法廷判決・刑集二一巻七号八七九頁参照)、また、訴因変更を要する場合にこれを変更しないで訴因と異なる事実を認定し有罪とすることはできないのである。このように、審判の対象設定を原則として当事者の手に委ね、被告人に対する不意打を防止し、当事者の公正な訴訟活動を期待した第一審の訴訟構造のうえに立つて、刑訴法はさらに控訴審の性格を原則として事後審たるべきものとしている。すなわち、控訴審は、第一審と同じ立場で事件そのものを審理するのではなく、前記のような当事者の訴訟活動を基礎として形成された第一審判決を対象とし、これに事後的な審査を加えるべきものなのである。そして、その事後審査も当事者の申し立てた控訴趣意を中心としてこれをなすのが建前であつて、職権調査はあくまで補充的なものとして理解されなければならない。けだし、前記の第一審における当事者主義と職権主義との関係は、控訴審においても同様に考えられるべきだからである。

これを本件についてみるに、本件公訴事実中第一審判決において有罪とされた部分と無罪とされた部分とは牽連犯ないし包括一罪を構成するものであるにしても、その各部分は、それぞれ一個の犯罪構成要件を充足し得るものであり、訴因としても独立し得たものなのである。そして、右のうち無罪とされた部分については、被告人から不服を申し立てる利益がなく、検察官からの控訴申立もないのであるから、当事者間においては攻防の対象からはずされたものとみることができる。このような部分について、それが理論上は控訴審に移審係属しているからといつて、事後審たる控訴審が職権により調査を加え有罪の自判をすることは、被告人控訴だけの場合刑訴法四〇二条により第一審判決の刑より重い刑を言い渡されないことが被告人に保障されているとはいつても、被告人に対し不意打を与えることであるから、前記のような現行刑事訴訟の基本構造、ことに現行控訴審の性格にかんがみるときは、職権の発動として許される限度をこえたものであつて、違法なものといわなければならない。

以上説示したところによれば、原判決には法令違反のかどがあり、その違法は判決に影響を及ぼすことが明らかである。しかしながら、原判決が被告人らの控訴を理由がないものとしている点にはなんら違法がなく、さらに進んで職権調査を加え破棄自判をした点だけが違法と考えられるのであるから、原審がすべきであつた裁判は控訴棄却であつたといえる。そうすると、その結果は第一審判決が維持されるべきであつたということになるが、第一審判決が被告人らに言い渡した刑と原判決が被告人らに言い渡した刑とは全く同一である。この点を考えれば、原判決の違法は、未だもつてこれを破棄しなければ著しく正義に反するものとは認められない。

よつて、刑訴法四一四条、三八六条一項三号により、主文のとおり決定する。

この決定は、裁判官長部謹吾、同下村三郎、同村上朝一の意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。

裁判官長部謹吾の意見は、次のとおりである。

わたくしは、本件上告趣意がすべて適法な上告理由にあたらないことは、多数意見の述べるとおりであると考えるものであり、また、本件各上告を棄却すべきものとする点においては、多数意見と結論を同じくするものである。しかし、多数意見がその結論に至る理由として説示するところには賛成することができない。以下、わたくしの理由とするところを述べる。

まず、本件において、第一審判決が無罪の判断を示したは、牽連犯ないし包括一罪の関係にあるものとして起訴された事実の一部に関するものであるから、被告人だけが控訴の申立をしたものではあつても、右無罪部分を含めた公訴事実の全部が控訴審に移審係属したと解すべきであり、したがつて、本件公訴事実は、その全部が控訴審においても審理の対象となり、また、控訴裁判所の職権調査の対象にもなるものといわなければならい。多数意見は、第一審判決中の無罪部分を含めた公訴事実全部が控訴審に移審係属することを承認しながら、その無罪部分が牽連犯ないし包括一罪中の一部であつて、それ自体犯罪構成要件を充足しうる事実であることを強調し、かかる場合には、控訴裁判所は、第一審判決中の無罪部分については職権調査を加え、有罪の判断をすることができないとするものであるが、かかる見解にはにわかに賛同することができない。そして、以上のように解すべきことについては、その限りにおいて、下村、村上両裁判官の説かれるとおりであると考えるから、両裁判官の意見に同調する。

ただ、わたくしは、本件のような場合、控訴裁判所が第一審判決中の無罪判断を改めて有罪の判断をなしうるとはいつても、それにはおのずからとるべき手続があると考える(なお、以下に述べるところは、本件の場合のように、第一審判決中の無罪部分が、いわゆる処断上の一罪ないし包括一罪等の中の一部であつて、それ自体犯罪構成要件を充足しうる事実である場合についてであり、犯罪構成要件の一部である事実の場合は別論である。)。すなわち、本件のような場合、公訴事実全部が控訴審に移審係属するとはいつても、第一審判決に対して検察官の控訴申立はなく、被告人だけが控訴を申し立てたものであるから、控訴審においては、当事者の注意と関心は、多くの場合、事実上、第一審判決中の有罪部分にのみ向けられ、その意味において、いわば顕在的現実的には有罪部分のみが弁論の対象と考えられていると見ざるをえない。それゆえ、控訴裁判所が、刑訴法三九二条二項による職権調査の結果、第一審判決中の無罪部分の判断が誤りであり、有罪と判断すべき蓋然性が強いと認められ、かつ、これを改めないで看過することが正義に反すると思料されるような場合においては、もし控訴裁判所としてこれを是正しようとするのであるならば、あらかじめ、公判において、検察官および弁護人に対し、第一審判決中の無罪部分についても裁判所の職権調査を及ぼすことがあり、これについて意見があるならば、その点についても弁論すべき旨を告げ、もつて当事者の注意と関心を無罪部分にも向けさせ、これを弁論の対象たらしめる措置をとることが、訴訟手続として必要であると考える。かかる措置は、その旨の明文の規定はないが、裁判所の職権の行使についてもできるかぎりあらかじめ当事者の意見を聴くべきものとし、かつ、審理について当事者の弁論を尽くさせようとしている刑訴法の諸規定(たとえば、二九七条、二九九条二項、三〇八条、三一二条、四〇四条参照)の趣旨にその根拠を求めうるであろう。したがつて、もし控訴裁判所が、かかる措置をとらないで、にわかに判決において第一審判決を破棄し、その無罪部分を有罪と判断することは、訴訟手続上違法というべきである。

ところで、本件記録によれば、原裁判所が、第一審判決を破棄し、その無罪部分をも含めて有罪の判決をするについて、あらかじめ右のような措置をとつた形跡は認められないから、その点において訴訟手続上の違法があるといわなければならない。しかしながら、本件記録上認められる証拠関係に徴すれば、原判決の有罪認定には不当のかどはなく、優にこれを維持しうるものであり、その他本件事案にかんがみれば、原審の訴訟手続に右のような違法があるにしても、いまだ原判決を破棄しなければ著しく正義に反すると認めるには足りない。

裁判官下村三郎、同村上朝一の意見

は、次のとおりである。

われわれは、本件各上告を棄却すべきものとする点においては、多数意見と結論を同じくするものであるが、多数意見が、職権により調査し、原判決には法令違反のかどがあると説示している点に関しては、にわかに賛成することができない。以下にその理由を述べる。

本件において、第一審判決が無罪の判断を示したのは、牽連犯ないし包括一罪の関係にあるものとして起訴された事実の一部に関するものであり、しかも理由中で無罪と判断されただけで、主文において無罪の言渡がなされたものではないから、被告人だけが控訴の申立をしたものではあつても、右無罪部分を含めた公訴事実のすべてが控訴審に移審係属したと解すべきであり、このことは多数意見も承認するところである。そうであるならば、本件公訴事実は、そのすべてが控訴審においても審理の対象となるのであり、したがつて、控訴審の職権調査の対象にもなるといわなければならない。このことは、多年にわたり実務上異論なく承認されて来たところであり(名古屋高裁昭和三二年一二月二五日判決・高裁刑集一〇巻一二号八〇九頁および右判決を維持した当裁判所第三小法廷昭和三六年一二月二六日決定・刑事裁判集一四〇号七〇五頁参照)、この見地からすれば、原判決のした職権調査の措置はなんら違法というべきものではないと考える。

この点に関し、多数意見は、原判決の措置を違法とする理由として、まず、現行法における当事者主義と職権主義との関係、当事者主義の現われとして訴因制度控訴審の事後審たる性格等を一般的に述べている。右の一般論については、われわれとしても、あえて異論を唱えるものではない。ただ、いわゆる実体的真実を究明し適正な裁判の実現をはかるべきことは、刑事裁判の生命と発いうべきものであるから(刑訴法一条参照)、その点からすれば、裁判所の職権主義的な権能は、たとえそれが当事者主義の補充的なものと考えられるにしても、必要に応じ適切に運用されるべきであり、その権能行使の範囲をいたずらに狭小なものと解すべきではないと考える。そして、このことは、刑訴法三九二条二項により控訴審の権能とされている職権調査についても、同様であるといわなければならない。

次に、多数意見は、本件についての具体的結論として、原審のした職権調査ならびにその結果たる破棄自判の措置は、被告人に不意打を与えるものであつて、職権の発動として許される限度をこえたものであると述べている。そして、多数意見は、右の結論を導く前提として、本件の公訴事実中第一審判決において無罪とされた部分については、被告人から不服の申立をする利益がなく、検察官から控訴の申立もないのであるから、当事者間においては攻防の対象からはずされたものとみることができるというのである。

右の意見に関し、まず、本件公訴事実のうち牽連犯として起訴された事実について考えると、牽連犯は科刑上一罪とされるものであつて、その手段、結果のそれぞれは別個の訴因とみられるけれども、訴訟法上その全体が一個の公訴事実を形成し、一個の事件として取り扱われるのである。そして、既に述べたように、控訴の申立についても右は不可分とされ、いずれからの控訴の申立によつても、そのすべてが控訴審に移審係属するに至るのである。この場合の被告人の上訴の利益は、右一個の事件を単位として考えるべきであつて、有罪あるいは無罪とされた各訴因部分のそれぞれについて考えるべきものではない。さらに、検察官の側においても、みずから控訴の申立をしていないとはいえ、第一審判決が理由中で無罪とした訴因部分についても、その訴因を撤回したわけではないのであるから、依然としてこれを訴因として維持しているものというべきであり、少なくとも控訴審の職権調査による第一審判決の是正を期待する利益を有しているものといわなければならない。以上のように考えれば、本件における牽連犯としての公訴事実中、第一審判決の理由中において無罪とされた部分が、当事者間において攻防の対象からはずされたものとみることは、相当ではないというべきである。

次に、本件公訴事実のうち包括一罪として起訴された事実について考えると、本件暴力行為等処罰に関する法律違反の事実を構成するところの、多衆の威力を示し、共同してした脅迫、暴行、器物損壊は、それらの脅迫、暴行、器物損壊が別個の機会に行なわれたものであれば、それぞれ別個の犯罪を構成し、別個の訴因を形成することになるであろうが、本件のように同一の多衆により同一の機会に接続してなされたということにより、包括一罪として構成された場合には、それは訴訟法上単純一罪と全く同様の取扱いをうけることになるのであつて、訴因としても単一であるとみるほかはない。そうであるならば、第一審判決がその一部につき理由中で無罪の判断を示したといつても、それは一個の訴因の内容をなす事実の一部が認定されなかつた場合と同様の事態なのであつて、控訴によつても、その一個の訴因がそのまま不可分的に控訴審に移審係属するのであり、その一部が当事者間の攻防の対象からはずされるというような考え方をとることは、極めて困難であるといわなければならない。

以上の理由により、多数意見が前記具体的結論を導く前提としている点には、賛成することができないのである。そして、われわれの見解からすれば、原審がした職権調査ならびに破棄自判の措置は、なんら被告人に不意打を与えたことにはならないというべきである。なお、刑訴法四〇二条所定のいわゆる不利益変更禁止の原則は、刑のみに関するものであつて、被告人が控訴をし、または被告人のため控訴をした事件につき、控訴審が第一審の認定した事実よりも被告人に不利益な事実を認定しても、判決主文において第一審判決より重い刑を言い渡さなければ、右条文に違反しないと解されることは、当裁判所第二小法廷昭和三六年九月六日決定(刑事裁判集一三九号一二九頁)の判示するとおりである。被告人側としては、控訴審に移審係属した訴因については、被告人控訴だけの場合においても、刑以外の点については第一審判決よりも不利益な認定、判断をうけることがありうることは当然予期すべきなのである。

以上、多数意見に賛成できない理由を述べた。本件各上告は、その趣旨がいずれも適法な上告理由にあたらないものとして、単に棄却すれば足りるものと考える。

(石田和外 長部謹吾 田中二郎 岩田誠 下村三郎 色川幸太郎 大隅健一郎 松本正雄 飯村義美 村上朝一 関根小郷 藤林益三 裁判官入江俊郎、同城戸芳彦は、退官のため記名押印することができない。)

弁護人の上告趣意

第一点 原判決は明治二六年七月一〇日大審院判例に反する。

一、右判例は「凡ソ被告人ノ上告ハ被告人自己利益ノ為メニナスヘク不利益若クハ犯罪構成上処刑上影響ヲ生セサル事項ニ対シ為シタル上告ハ成立セサルモノトス」という理由で、有罪の言渡のあつた部分だけが係属しているとしたものである。

二、本件第一審判決は暴力法違反(暴行及び器物損壊)ならびに傷害については、暴力法違反(脅迫)と包括一罪の関係にあると同時に住居侵入と牽連犯の関係にあるという理由で主文で特に無罪の言渡のあつた部分は暴力法違反(脅迫)と住居侵入についてだけである。従つて原審に係属したのは、暴力法違反(脅迫)と住居侵入だけであり、原審がそれ以外の暴力法違反(暴行及び器物損壊)と傷害について有罪の事実認定をしたのは、明らかに右判例に違反するものである。

三、一般に原判決よりも被告人に不利益な事実を認定しても刑を変更しない限り、刑訴法四〇二条の不利益変更の禁止に牴触しないというのが判例通説である。しかし、ここでの問題は、単なる不利益変更禁止の問題ではなく、被告人側の上訴の本質、上訴の利益の問題である。

上訴とは、未確定の裁判に対して上級裁判所の審判による救済を求める不服申立の制度である。判例が被告人側の上訴について、それが被告人個人の利益に向けられていること、すなわち上訴の利益のあることを要求しているのはそのためである。不利益変更禁止の原則は救済制度としての上訴の一の原則ではあるがそのすべてではない。昭和二八年二月二六日最高裁判例も「原審が第一審判決を、『被告人の不利益に変更を求むるものであつて控訴理由としては適法でない』と判示したのは所論第一点にいうように、刑訴四〇二条の不利益変更禁止の規定によつたものではなく、利益なければ訴訟なしという訴訟法上の基本原理によつたものと認むべきであつて、云々」と判示して両者を区別している。

四、科刑上一罪の場合は、併合罪のように科刑上数罪の場合とちがつて、競合もしくは牽連する数罪のうちの一部について公訴の提起があれば、公訴不可分の原則により、その全体に効力が生ずる。しかし、被告人側の上訴の場合、上訴の利益との関係でこの原則は変更されなければならない。すなわち、一部無罪の部分については、被告人は上訴の利益がないのであるから、この部分については、検察官の上訴がない限り、上訴審で審判の対象となりえないのである。

科刑上一罪は本来的に一罪なのではなく、元来数罪なのであるから、すべての点について本来の一罪と同様に取扱う必要はない。例えば、両罪が被審者を異にする親告罪であれば、一人の告訴の効力は他に及ばないし、一方の犯罪の中止の影響は他方の犯罪にまで及ばない。このように、被告人の上訴の場合にも、上訴の利益との関係で各別に論じなければならないのである。

もともと、上訴審の審査はあくまで当事者の主張を中心になさるべきで、職権による調査は、その当事者が本来主張すべきであるのにしなかつた事項を裁判所が後見的な立場で代つてとりあげて審査する趣旨のものである。従つて、被告人が主張することの本来許されない不利益な事項を裁判所が代つてとりあげるというのは意味をなさず、そのようなことをすべきではない(「総合判例研究叢書、刑事訴訟法(17)」、中野次雄、上訴の利益、二四頁)。

五、本来被告人が主張することを許されず、かつ、検察官が不服を申立てなかつた不利益な事実について、原判決が第一審判決を覆えして有罪の判決を言渡したのは、前記大審院判決に反すること明白である。破棄されなければならない。〈以下省略〉

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